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旧法輪寺跡 高橋紹運・立花直次の墓(福岡県大牟田市)

          大牟田

紹運寺の向い側にある三池藩主立花家墓所、こちらには元々紹運寺と同じく立花家の菩提寺であった法輪寺がありましたが明治時代の台風で本堂が倒壊、その後寺は壱岐へ移り現在この地に寺はなくなっており墓所のみが残されています。


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元はここに本堂があったのでしょうか?


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三池藩主立花家墓所
左側より2代種長・3代種明、4代貫長、5代長熈の墓。石灯籠の数が凄いです。


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立花家墓所よりさらに上ったところに高橋紹運と藩祖立花直次の墓(供養塔)や顕彰碑などがあります。

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高橋紹運の墓
大友家重臣で筑前岩屋城主。立花宗茂・高橋直次兄弟の父親としても有名。秀吉の九州征伐前に九州平定を急ぐ島津の5万とも言われる大軍をわずか700余りの城兵のみで引き受け7日間籠城の末玉砕、島津方は落城させたものの5千を超える死傷者を出すなど大損害を受け結果的に太閤軍到着前の九州平定に失敗することとなります。


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高橋紹運顕彰碑
紹運の墓左側にあり紹運の業績が刻まれています。

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附鎮種公筑宝満岩屋籠城供奉戦死之士供養碑
紹運とともに岩屋城で討ち死にした700余りの家臣の供養塔で紹運の墓・顕彰碑の横に建てられています。

 
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立花(高橋)直次の墓
名将・勇将など評価の高い父や兄と違い地味な存在ですが、彼もその血を受け継ぎ文武両道の人物でした。関ヶ原の戦いでは兄宗茂と同じく西軍に属し改易されますが後に赦され常陸柿岡に5千石が与えられます。兄に先立ち元和3年(1617)年に江戸で亡くなりますが、息子種次の代に5千石加増され大名として旧領筑後三池の地へ復帰することになります。彼が立花姓を名乗るのは大坂の陣勃発前に幕府の実力者であった本多正信(息子の正純とも)からの勧めだったそうで、兄宗茂には子がいなかったために直次の4男忠茂が叔父宗茂の養子となり柳川藩立花家の2代藩主となります。

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従五位下故主膳立花大通公碑
撰文は芳賀貞によるもので7代藩主種周(外様大名ながら寺社奉行・若年寄も務める)によって寛政元(1789)年12月に建立されている直次の顕彰碑。直次の業績や人柄などが裏・側面にびっしり刻まれています。


                大牟田

               
附直次公朝鮮供奉戦死之士供養碑
朝鮮での兄宗茂の名将ぶりは有名ですが直次も兄を補佐しています。その際に異国の地で戦死した高橋家家臣たちの供養塔で直次の墓・顕彰碑の横に建てられています。


             
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けん

Author:けん
戦国武将にまつわる史跡と味のある建築探訪をテーマに暇を見つけては各地を彷徨っている40代前半の会社員(オッサン)です。ノスタルジックなもの・ローカル色強いものを好む習性があります。 


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