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光臺寺 むかで姫・宮部長房の墓(岩手県盛岡市)

   盛岡

創建は天正元(1573)年と天正6(1578)年の2つの説があるのですが、出羽山形より故関大和尚が同名の寺を盛岡へ移した浄土宗の寺院です。元々寺は別の場所にありましたが初代藩主南部利直の正室で蒲生氏郷の娘である源秀院の墓がこの地に建立されることに伴い寺も移ってきたそうです。


    盛岡

本堂

    盛岡

宮部長房の墓
従五位下兵部少輔 秀吉の最側近であった宮部継潤(善祥坊)の嫡男で父の跡を継ぎ鳥取城主となります。関ヶ原の戦いでは当初上杉征伐に従軍しますが鳴海付近で石田三成挙兵の報を聞き重臣間でも東軍・西軍どちらに属すかで揉めますが長房は西軍に付くことにし側近など少数で夜宿所を抜け出すも熱田の渡しの船頭に騙され身動きが取れず、何も聞かされておらず宿所に置いて行かれた本隊は右往左往し元宮部家の家臣である岡崎城主田中吉政に助言を求め田中家とともに行動することとなります。仕方なく宿所に戻った長房は本隊は出発した後で徳川方に捕まり岡崎城に幽閉される大失態を演じ、関ヶ原後に田中吉政の助命嘆願もあって盛岡の南部家に身柄を預けられ子孫は南部家の家老などを務める重臣として明治時代へと至っています。

    盛岡

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於武の方(源秀院)の墓
蒲生氏郷の娘で南部利直の正室。蒲生氏は大むかで退治で知られる俵藤太(藤原秀郷)の末裔とされ於武の方は藤太がむかで退治に使ったと伝わる矢の根を婚礼品のひとつに持参していますが、彼女が亡くなった際に遺体の下にむかでらしき模様が現れたことに利直は恐れ、彼女の墓の周囲にはむかで除けの巨大な堀が築かれ墓へは太鼓橋が架けられるもこの橋が何度架けても破壊されるため夜中に大むかでが破壊していると囁かれます。また墓石からもたくさんのむかでが出てくるなどの伝承がありいつしか彼女はむかで姫という別称が付きました。

長房の墓は本堂裏手の墓所内、源秀院の墓は寺の敷地外の隣接した場所にあります(山門左手)。





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Author:けん
戦国武将にまつわる史跡と味のある建築探訪をテーマに暇を見つけては各地を彷徨っている40代前半の会社員(オッサン)です。ノスタルジックなもの・ローカル色強いものを好む習性があります。 


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