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来迎寺 豊岡藩主杉原氏三代の墓(兵庫県豊岡市)

         豊岡

貞観7(865)年、摂津国勝尾寺座主勝如上人が創建したお寺で当初は真言宗の寺でしたが永正元(1504)年に浄土宗に宗門替えし、その後豊岡城主となった秀吉の側近宮部継潤(善祥房)が大檀主となり伽藍などを整備しますが江戸時代何度か火災に遭い、現在の堂宇などは文化3(1806)年に建て直されたものだそうです。

本堂は写真で見るよりも実際現地で見た方がかなり大きく見える立派な建物です。


         豊岡

豊岡藩主杉原氏三代の墓
本堂前にある左より2代重長・初代長房・3代重玄の墓で供養塔だと思われます。初代長房の父家次は秀吉の正室北政所おねの叔父で(北政所の母朝日殿の兄)で、長房は北政所にとって従姉弟という関係になります。



              豊岡

杉原長房の墓
従五位下伯耆守 秀吉を支え福知山城主であった父家次が秀吉と意見が対立し自害したため(病気説も)10歳で家督を相続、北政所の義弟に当たる浅野長政の娘を娶っています。成人後は順調に加増を受け豊後杵築を経て豊岡に入封、関ヶ原の戦いでは西軍に与し細川幽斎が籠城する田辺城攻めに参加しますが、戦後北政所や舅浅野長政のとりなしなどもあって本領安堵を受け初代豊岡藩主となり、大坂の陣では当然のことながら大坂城を攻めています。

豊岡市内にある長房の供養塔としては他に彼が村に取り立てた戸牧村の村民たちが感謝し建てた杉原伯耆守供養塔が戸牧神社内にあります。

              豊岡

杉原重長の墓
従五位下伯耆守 これといった業績もなく29歳の若さで亡くなっています。これにより一度豊岡藩主杉原氏は形の上では改易・除封となります。

             豊岡

杉原重玄の墓(右の小さな墓石)
重長が亡くなり杉原氏は一度改易されますが藩祖長房の大坂の陣の軍功などを理由に交代寄合竹中越中守に嫁いだ重長の娘が産んだ三男が重長の養子重玄となり1万石に減封されるも跡を継ぎます。江戸神田橋の石垣普請や藩内主要寺社に寺社領安堵状を発給していますが17歳の若さで彼も亡くなり改易となり杉原氏の豊岡支配は終焉を迎えます。

なぜ杉原氏三代の墓が来迎寺にあるのかは資料など残っていないようで詳細は不明です。また撮影し損しましたが鐘楼前には宮部善祥房の顕彰碑もあります。


           


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Author:けん
戦国武将にまつわる史跡と味のある建築探訪をテーマに暇を見つけては各地を彷徨っている40代前半の会社員(オッサン)です。ノスタルジックなもの・ローカル色強いものを好む習性があります。 


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