FC2ブログ

Entries

大覚寺 赤松伊豆守祐高の墓(姫路市網干区)

          網干

大覚寺は浄土宗西山禅林寺派に属する寺院で天福元(1233)年真言宗の僧であった定翁隆禅上人が光接院として創建、永正年間(1504~1521)に真言宗から浄土宗へ改宗しています。その後天文3(1534)年に赤松氏の乱の戦禍に遭い堂宇を焼失、再建に奔走していた7代住職空鑒尭淳上人の時代の弘治2(1556)年、白鶴の霊験により現在地へ移転し大覚寺へ名を改めています。




          
本尊の釈迦三尊像・十六羅漢像は国指定重要文化財、また全国的に珍しい織田信長・豊臣秀吉・徳川家康3人の禁制礼状を保管しており、江戸時代は30石の寺領の寄進を受け三葉葵の紋の使用が許され10万石格式待遇、また丸亀藩の参勤交代途中の本陣としても利用されていました。

      
         網干

本堂(姫路市指定文化財)
寛永11(1634)年 に再建された正面七間・側面八間・建坪240㎡(約73坪)の大きな本堂です。山門・本堂・観音堂・三宝荒神などが姫路市の文化財指定を受けています。





          網干

鐘楼
                

             網干

赤松祐高の墓(供養塔)
伊豆守 龍野城主赤松政秀の三男で竹田城を築城した斎村政広(赤松広英)の弟になります。半田山家鼻1万石を領し関ヶ原の戦いでは西軍に属したため戦後改易されています。その後、大坂の陣勃発前に大坂城に浪人衆として入りますが夏の陣最終決戦で大坂城を脱出し島津義弘(播磨島津氏)らとここ大覚寺に立て篭もり、追手である池田利隆隊と睨み合いを続けますが最後は衆兵の助命と引き換えにここ大覚寺で自刃しています。

1万石なら大名になりますが関ヶ原の戦いでの改易武将リストに兄の名前は必ずあるも彼の名前は見当たらず、彼の居城とされる半田山家鼻城も検索してみましたがかなり細かなお城のサイトにも記載なし。そこでさらに調べるとたつの市揖保川町に半田という地名があり龍野藩の資料にも半田・山鼻という地名の記述があったのでこの一帯が領地だったのかなとは思うのですが、それ以上のことはよく分かりませんでした。なお祐高の嫡男は助命され帰郷し半田の庄屋階級になったようです。

境内図などには赤松供養塔と紹介されていますが、ご住職に伺うと祐高の供養塔で間違いないとのことです。


            


にほんブログ村

関連記事

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

けん

Author:けん
戦国武将にまつわる史跡と味のある建築探訪をテーマに暇を見つけては各地を彷徨っている40代前半の会社員(オッサン)です。ノスタルジックなもの・ローカル色強いものを好む習性があります。 


※公序良俗に反していない限り基本リンクフリーですが、ブログ内全ての画像・記事の無断使用・転載はまとめサイト含め一切固くお断りさせていただいております。

月別アーカイブ

カテゴリ

にほんブログ村

にほんブログ村

タグリスト

最新記事一覧

三田城(兵庫県三田市) Aug 10, 2020
西福寺の清水五輪塔(兵庫県明石市) Aug 02, 2020
妙福寺(兵庫県丹波篠山市) Jul 17, 2020
小田垣商店(兵庫県丹波篠山市) Jul 05, 2020
河原町妻入商家群(兵庫県丹波篠山市) Jun 29, 2020

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR