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正入寺 伊木忠繁の墓(兵庫県三木市)

          三木

関ヶ原の戦い後に三木城主3万7千石となった姫路藩筆頭家老伊木豊後守忠次が小牧・長久手の戦いで徳川家と戦い討ち死にした池田恒興(姫路藩初代藩主池田輝政の父)の菩提を弔うために慶長6(1601)年に尾張より斎年寺3世日山和尚を招き建立した曹洞宗の寺院で、伊木家の菩提寺です。


          三木

お寺のある場所は元々は三木城の一郭で、別所長治の弟別所小八郎治定が館を構えた城館跡に建てられています。

         三木

本堂


         三木

三木城主伊木家墓所
左より伊木豊後守忠次室・伊木長門守忠繁・池田利隆の墓(供養塔)になります。忠次の室は日根野高吉の娘で忠繁の母親。


               三木

池田利隆供養塔
輝政の嫡男で父の死後姫路藩2代藩主となり大坂の陣に出陣、大坂の陣翌年の元和2年に亡くなっています。

主君の供養塔だけに一番大きい五輪塔です。ちなみに彼が亡くなった2ヵ月後に忠繁も亡くなっています。


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伊木忠繁の墓
従五位下石見守 陪臣ですが大藩の筆頭家老だけに叙位任官を受け三木城主3万3千石と大名級の知行を持っていました。池田輝政によって関ヶ原の戦いの翌年より現在の姫路城が築城されましたが、その姫路城の普請奉行を務めています。伊木家は池田家岡山移封に伴い三木の地を離れますが子孫は代々岡山藩筆頭家老を務めています。

忠繁の父でこの寺の開基伊木豊後守忠次は池田恒興(勝入斎)時代からの重臣で、小牧・長久手の戦いでの勝入斎らの自侭な行動による敗戦を理由に池田家を取り潰そうとする秀吉を説得し池田家存続を認めさせるなど池田家を支え続けた人物で、池田家を継いだ輝政も忠次の諫言にはしっかり耳を傾けたそうです。また秀吉からも信望厚く陪臣ながら池田家の知行とは別に5千石が直に与えられていたようです。忠次の墓は寺にはありませんが位牌が恒興・輝政・息子の忠繁のものとともに本堂に安置されています。


             


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けん

Author:けん
戦国武将にまつわる史跡と味のある建築探訪をテーマに暇を見つけては各地を彷徨っている40代前半の会社員(オッサン)です。ノスタルジックなもの・ローカル色強いものを好む習性があります。 


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