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慈芳院 山中長俊の墓(京都市東山区)

          京都

慶長3(1598)年に豊臣家右筆で1万石の大名でもあった山中山城守長俊が妻慈芳院の菩提を弔うために建立した臨済宗建仁寺派のお寺で、今もお寺のある町名の由来(慈法院庵町)ともなっています。





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山門前にある山中山城守長俊墓道の文字が刻まれている石柱

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石造薬師如来像
山門入って左側にある覆堂に鎮座されておられる薬師如来像は鎌倉時代の作と伝わるもので高さ1.8mほどあります。


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薬師如来のお隣に鎮座している不動明王。水琴窟のようになっています。

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山中長俊の墓
従五位下山城守 甲賀二十一家(甲賀五十三家のうち重きを持つ21家)山中家庶流の出で、最初は六角家に属し信長軍と幾度となく交戦し武功も挙げていますが後に織田家に属し柴田勝家の重臣となっています。勝家が滅んだ後は丹羽長秀に仕え長秀亡き後は堀秀政に寄食、その後秀吉に右筆として仕え秀吉の命で歴史書『中古日本治乱記』を執筆したことでも名があります。武将としても最終的に1万石の大名となりますが関ヶ原の戦いで西軍に属し改易され、孫が広島藩士や徳川家旗本となり家名を保っています。

長俊の戒名のうち前城州大守、紹春の文字が辛うじて読めたので長俊の墓と確認できましたが一般的には住職など僧侶の墓に多い無縫塔なので、事前にネットでの情報に接していなければ恐らく分からず仕舞いだったと思います。すぐ左にもほぼ同じ年代のものであろう無縫塔があり長俊の墓前にはないお供えがされていたことから慈芳院の可能性もありそうですが、こちらは完全に風化しており何も判読できませんでした。

なお長俊の墓は大津市西教寺のものが有名で案内板も墓の前に立っていますが、その墓石には長俊ではなく大姉の文字が刻まれていることから女性の墓のようです。


            

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Author:けん
戦国武将にまつわる史跡と味のある建築探訪をテーマに暇を見つけては各地を彷徨っている40代前半の会社員(オッサン)です。ノスタルジックなもの・ローカル色強いものを好む習性があります。 


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