FC2ブログ

Entries

大円寺 福江藩主五島玄雅の墓(長崎県五島市)

          福江

昨夏に続いての訪問となる大円寺は末寺14を抱え五島の寺院57寺を統括していた曹洞宗の寺院で、福江藩主五島(宇久)家の菩提寺。応永10(1403)年宇久氏9代勝が現在地に松月庵を建てたことに始まり、その後大永年間(1521~1527)に第17代盛定が庵を再興し現在の大円寺とし、これまでの菩提寺であった清浄寺から菩提所を移しています。


          福江

本堂 

          福江

          福江

福江藩主五島家墓所(前期墓所)
大円寺隣にある墓所には16代囲~25代五島盛暢の墓があります。

昨夏は膝丈以上の高さにまで草木が生い茂り様々な虫が飛び交う山城状態だったので今回まだ草木が枯れている3月初旬の再訪問を計画したわけですが、訪問日直前に清掃が行われたようで想像以上に大円寺隣の五島家墓所はきれいになっていました。

昨夏訪問時の記事→大円寺 福江藩主五島家墓所

          福江

五島純玄の墓
従五位下大和守・若狭守 五島(宇久)氏20代 彼が当主に就く前後の宇久家家中はキリシタンと反キリシタンが激しく対立しており後に自身の後継者となる叔父大浜玄雅との家督争いに勝ち当主の座に就くとキリシタンを排斥していきます。文禄の役で小西行長隊に属し朝鮮在陣中に疱瘡に懸かり陣病没。

昨夏は真正面までは行けませんでしたが今回は真正面で手を合わせ撮影。


          福江

五島玄雅の墓
従五位下淡路守 福江藩初代藩主 五島(宇久)氏21代 熱心なキリシタンであったために反キリシタン派に担がれた甥純玄と対立し敗れ一時期五島を離れ長崎に滞在しています。その後親交のあった薩摩の島津義久の仲介で帰参、文禄の役中に亡くなった純玄の遺言もあってその跡を継ぎ、慶長の役では加藤清正・浅野幸長らが篭る蔚山倭城を囲む明・朝鮮軍に宇久水軍を率い背後から奇襲を仕掛けたことが発端となって日本側が大勝するという大功を挙げたことで秀吉より褒美とともに豊臣姓を与えられています。

関ヶ原の戦いでは当初西軍に付く予定で下関付近まで兵を進めますが、ここで松浦鎮信・大村喜前など他の肥前諸将と軍議した結果(軍議場所は唐津沖の神集島とも)、石田三成や小西行長に対する朝鮮の役での不信感などもあって兵を引き上げ中立を保ち、慶長8(1603)年に家康と対面し本領安堵の朱印状を得て初代福江藩主となりますが、その後家康より棄教を強く迫られ仕方なく棄教(加藤清正に説得されたとも)、それからは棄教への後ろめたさもあったのか一度も五島に戻ることなく亡くなっています(五島富江で亡くなったという説も)。

昨夏はどれか分からず撮影し損ねた玄雅の墓、清掃していただいたおかげで墓石下の部分まで露になり戒名なども読むことができました。


         
          福江

六地蔵塔

          福江

後期墓所
大円寺川挟んで向かい側にある後期墓所も草木が枯れていたので昨夏よりも苦労せずに近くまで行くことができました(昨夏は入り口まででそれ以上は断念)。

                      
             

★当ブログのまとめサイトなどへの無断転載・使用は一切固く禁止しております。

にほんブログ村

               
関連記事

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

けん

Author:けん
戦国武将にまつわる史跡と味のある建築探訪をテーマに暇を見つけては各地を彷徨っている40代前半の会社員(オッサン)です。ノスタルジックなもの・ローカル色強いものを好む習性があります。 


※公序良俗に反していない限り基本リンクフリーですが、ブログ内全ての画像・記事の無断使用・転載はまとめサイト含め一切固くお断りさせていただいております。

月別アーカイブ

カテゴリ

にほんブログ村

にほんブログ村

タグリスト

最新記事一覧

三田城(兵庫県三田市) Aug 10, 2020
西福寺の清水五輪塔(兵庫県明石市) Aug 02, 2020
妙福寺(兵庫県丹波篠山市) Jul 17, 2020
小田垣商店(兵庫県丹波篠山市) Jul 05, 2020
河原町妻入商家群(兵庫県丹波篠山市) Jun 29, 2020

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR