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宇土古城(熊本県宇土市)

          宇土

宇土城は中世に築かれた宇土古城と肥後の国人一揆鎮圧後に肥後半国24万石で宇土に入った小西行長によって築かれた近世宇土城の2つに区分されます。宇土古城は永承(1048)年の関白藤原頼通下向の際に宇土氏によって築かれたとも言われますが詳細なことはよく分かっていません。




          宇土

          宇土



          宇土


          宇土

          宇土

虎口
          
          宇土

千畳敷

          宇土

宇土は、熊本県海岸部中央に突出する宇土半島の基部に位置し、古来肥後国の交通路の要衝になっていた。宇土城は、現在の市街地西南方にある独立丘陵に営まれた中世山城で、はじめ宇土庄地頭の宇土氏が居城とし、後に[[名和]なわ]氏が城主となった。

肥後名和氏は、南北朝時代の南朝方の武将[[名和長年]なわながとし]の後裔である。長年死後の正平年間に、孫の顕興が一族を挙げて八代庄に移り、以後、肥後南部において、相良氏ら有力豪族と拮抗していたが、顕忠の代の文亀4年(1504)に、八代の古麓城を相良氏のため陥され、益城郡木原城に移り、ついで宇土城に入った。以後天正15年(1587)、豊臣秀吉によるいわゆる「島津征伐」に際し、島津方であった名和氏が退転するまで、宇土城は同氏の居城であった。

 城跡のある丘陵(西岡台)は、「三ノ城」及び「千畳敷」と呼ばれる2つの峰から成り、それぞれ頂部に平坦地があって、城の主要郭が置かれたものと思われる。事実、発掘調査によっても、中世の掘立柱建物跡が確認され、また、15~6世紀の中国製陶磁器が出土している。

なお、天正16年(1588)小西行長が築いた宇土城(本史跡の東方平坦地に遺跡がある)の跡地は、本史跡に含まれない
(文化庁文化遺産オンラインより)


              

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戦国武将にまつわる史跡と味のある建築探訪をテーマに暇を見つけては各地を彷徨っている40代前半の会社員(オッサン)です。ノスタルジックなもの・ローカル色強いものを好む習性があります。 


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