岡山駅より広島寄り2駅目にある庭瀬駅、この駅から徒歩10分ほどの場所に庭瀬城・撫川城という2つの城があります。
この場所に最初に城を築いたのは三村元親で、宇喜多家の進攻に備えたものでした。その後、毛利方の出城となるも落城。そして関ヶ原の戦い後に藩主となった戸川肥後守達安によって大規模な改修が加えられることとなります。沼地に建てられた沼城であり、周囲を歩いていると沼地が自然の堀の役割を果たしていたことを現在も感じさせてくれます。
庭瀬藩主としての戸川家は4代で嗣子無く改易され、天領時代を経て板倉家が入封します。ところが戸川家も目と鼻の先である撫川に5千石の交代寄合旗本として存続することになります。少しややこしいですが戸川家時代の庭瀬城本丸が現在の撫川陣屋跡、板倉家の入った庭瀬城は戸川家時代の庭瀬城二の丸と元々はひとつの庭瀬城だったのです。現在の庭瀬城跡には板倉重昌(島原の乱で戦死)・重矩親子を祀る清山神社が建立され、現在へと至っています。
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