金剛寿院とは道路を挟んで向かい側に位置している
福原八幡神社。神仏分離令が出るまでは金剛寿院の神仏混淆社であり、那須資晴の書状などから金剛寿院が別当を務めたことなどが分かっています。本殿は流造り・銅版平葺きで柱には地紋彫が施され組物は三手先詰組、繋虹梁は龍彫物。
創建時期は不明ですが社伝によると清和天皇の時世に藤原良門が諸国に八幡宮霊場を勧請するため奥州下向の途次当地に立ち寄った際に霊気を感じに八幡宮を建立した。また源頼義・義家父子が戦勝祈願のため八幡社を勧請したとも伝えられ、後に那須氏の祖である須藤貞信が氏神として社殿を造営したと言われます。
貞享2(1685)年には大檀那である那須遠江守資弥(烏山藩主)が社殿を修復しています。那須家改易後寄進はしばらくの間絶えますが、那須家再興に伴い再び寄進が再開されるようになり、天明7(1787)年に那須与一資明は家老高瀬治右衛門らに命じ本殿・拝殿・玉垣を修復し、現在に至っています。大田原市指定文化財
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