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興聖寺(愛媛県松山市)

        松山

松山市駅から程近い場所にある興聖寺は忠臣蔵の寺としての方が地元では有名なお寺ですが、松山藩主蒲生忠知の菩提寺でもあり彼の供養碑が墓所の奥側にあります。

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松山藩主蒲生忠知供養碑
蒲生忠知は信長がその才を愛し秀吉はその才を恐れたと言われる蒲生氏郷の孫に当たる人物で蒲生秀行の次男になります。蒲生氏は兄である会津藩主忠郷に嗣子なく断絶し掛けますがこの兄弟の母親が家康の娘振姫ということもあって兄とは別に出羽上山4万石を与えられていた彼に蒲生嫡家の相続が認められます。ただし会津60万石から伊予松山24万石と大幅に石高は減らされていますが・・・。この兄弟、祖父はもちろん氏郷、祖母は信長の娘、母は家康の娘と完全にプリンスな家系ですね。

加藤嘉明の代から続いていた松山城を完成させ、また父の代からくすぶり続けていた重臣同士の対立にも決着をつけた忠知も31歳の若さでこの世を去り彼にもまた嗣子なく蒲生家はついに断絶します。興聖寺にあるこの供養碑は伊予に残った蒲生旧臣の子孫8名が忠知の死後145年後の安永7(1778)年5月に建立したものです。


         松山


赤穂浪士大高源吾・木村岡右衛門供養塔
赤穂四十七士のうち内蔵助の嫡男主税以下10名が松山藩に預けられ江戸中屋敷にて切腹しますが、そのうち大高源吾と木村岡右衛門の2名を介錯した松山藩士宮原久太夫頼安は菩提寺である興聖寺に彼らの遺髪を埋葬した供養塔を建てます。その横に宮原久太夫の墓もあります。

            

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プロフィール

けん

Author:けん
戦国武将にまつわる史跡と味のある建築探訪をテーマに暇を見つけては各地を彷徨っている40代前半の会社員(オッサン)です。ノスタルジックなもの・ローカル色強いものを好む習性があります。 


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