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井戸若狭守良弘の墓(奈良県天理市)

          天理

大和の有力国人のひとつであった井戸氏。大和の国人衆の多くは戦国の世に没落の憂き目に遭いますが、井戸氏は紆余曲折経ながら最後は徳川家の旗本となり家名を保った数少ない家です。この家の戦国時代後期~江戸初期の当主は覚弘か良弘を名乗る人が多く調べれば調べるほどそれぞれ書いてあることがバラバラで経歴など混乱状態になりますが、若狭守良弘は筒井順慶の義兄に当たり家督を嫡男覚弘に譲り自身は信長に仕え活躍し山城槙島2万石を与えられますが本能寺の変では次男が明智光秀の娘婿という関係もあって積極的に動くことなく山崎の戦い後に城を放棄し吉野へ退散・浪人しています。その後の良弘はかねてより親交のあった細川幽斎に仕え関ヶ原の戦いでは幽斎とともに田辺城に篭城し、慶長17(1612)年に隠遁していた故郷大和で亡くなっています。

井戸氏の菩提寺であった本光明寺は明治に入り衰微し寺も田原本へ移り、現在は天正から慶長にかけての古い墓石などのみが残っています。

井戸若狭守良弘の嫡男覚弘(左馬助)は筒井家改易後に徳川家に仕え3000石余の大身旗本となり江戸へ移りますが、高齢の良弘は大和に残り自身の末子を同じく大和に残った家老中村氏に託しその家を継がせ先祖の菩提を弔わせたそうです。現在の墓碑などはその中村家によって昭和に入って菩提寺のあった現在地に新たに建てられたもの。現在も中村家により法要など行われているようです。

寺が明治時代に移転しており詳しい場所が分からず今回天理市観光課の方に調べていただきました。本当にありがとうございました。

【住所】
天理市森本町508付近
青垣霊園に隣接した西付近になります。


             
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戦国武将にまつわる史跡と味のある建築探訪をテーマに暇を見つけては各地を彷徨っている40代前半の会社員(オッサン)です。ノスタルジックなもの・ローカル色強いものを好む習性があります。 


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