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宗岳寺 細川家重臣の墓(熊本市中央区)

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熊本一の繁華街である上通から少し脇道に入った場所にある曹洞宗のお寺で、天正19(1591)年に長崎より玄雪栄頓大和尚が中興開山、中興の際に最も功績のあった加藤清正の一族田寺久太夫が開基とされ久太夫の法号泰雲宗岳大禅定門から「泰雲山宗岳寺と称するようになっています。清正公の築城以来、宗岳寺が城の北東の方角表鬼門に当たることから熊本城の守護寺という位置付けがなされ藩主が細川家に代わっても細川忠利など藩主の位牌が安置されるなどしており、現在のご本尊釈迦三尊像は細川家の菩提寺泰勝寺が廃仏毀釈によって廃寺となった際に迎えられています。また三渕氏や久武氏など細川家複数の重臣の菩提寺でもあります。


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町(長宗我部)家の墓
町氏は土佐の長宗我部一族である吉良親実の末裔で明治に入って長宗我部に復姓しています。町家の墓は熊本市横手の安国寺という情報でしたが分家の菩提寺はここ宗岳寺とのことなので、この墓がそうかなと思います。今回安国寺の方では山門不幸の立て札があったので聞く事は出来ませんでした。ちなみに吉良親実の政敵で長宗我部家滅亡の遠因を作ったと言われる久武親直も長宗我部家が改易されると細川家に仕え菩提寺もここ宗岳寺です。

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三渕家の墓
足利義満の息子掃部頭持清を祖とし細川家の祖である細川幽斎の実家ということで細川家一門になります。墓も墓所では一番大きく中央付近に位置しています。

         
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松野家の墓
大友宗麟の末裔はそれぞれ松野姓を名乗ります。細川家に仕えたのは宗麟の嫡男義統の三男正鎮、宗麟の次男親家・三男親盛でそれぞれ末裔は松野姓を名乗ります。本家の文字から正鎮の家系かなとも思いますが正確なことは分かりませんでした。


2015年8月追記)
7月に再訪問してきました。ご住職はお留守でしたが(奥さんでしょうか?)お寺の女性がご住職と携帯で連絡を取ってくれて久武家の墓は現当主が現在在住している関西へ移されたので墓は残っていないとのこと、ただ久武家の墓のあった区画に久武の歌碑が残されていると案内していただきました。この歌碑も移すかどうか寺と話し合われているそうなので近いうちに姿を消すかもしれません。また長宗我部家の五輪塔墓と細川家家臣稲津因幡守家の墓を今回新たに追加アップしました。

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久武綺石歌碑
お寺の方は歌碑と言われていたので側面などに詠んだ俳句が刻まれていると思いますが墓石を読むと彼の墓のようです。久武綺石は久武内蔵助親直の直系子孫で250石の肥後藩士ですが、俳人として知られ肥後藩内での芭蕉俳諧復興に尽力したそうです。この歌碑の後ろの区画に数年前まで久武家の墓があったとのこと。

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稲津家の墓
少し離れた場所にあるので恐らく本家と分家の墓でしょう。祖となる稲津因幡守重房は元々は飫肥伊東家に仕えていた経歴から、関ヶ原の戦いで西軍に属した高橋元種の支城宮崎城を攻め落とすなど大功を挙げるも最後は主家に抵抗し攻め滅ぼされた伊東家重臣稲津掃部助重政の一族かと思われます。重政が居城清武城籠城の末に滅ぼされた後に伊東家を離れ加藤清正に1千石で仕え、その後細川家に仕えています。

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長宗我部家の墓
町(長宗我部)家の墓のすぐ近くにあります。


               

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けん

Author:けん
戦国武将にまつわる史跡と味のある建築探訪をテーマに暇を見つけては各地を彷徨っている40代前半の会社員(オッサン)です。ノスタルジックなもの・ローカル色強いものを好む習性があります。 


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