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枝吉城(神戸市西区)

明石市と神戸市の市境付近にある枝吉城は播磨の有力国人であった明石氏の本拠城で、秀吉の時代の天正13(1585)年に明石氏が但馬豊岡へ転封し代わりに明石の領主となった高山右近が居城を海に近い船上城に移し廃城になったと伝わります。手元の古い資料はほぼ“しきつ”城ですが、最近の資料は現在の地名の読み方と同じ“えだよし”城となっています。昭和40年代までは遺構の一部が残っていたようですが土地区画整理で削られ、現在は本丸の一部が残っているのみです。        


枝吉城は播磨の有力国人であった明石氏の本拠城でした。明石氏に関しては秀吉の時代に但馬豊岡へ移ったことと秀次事件に連座し最後の当主則実が切腹・断絶したため資料が少なく謎の多い家ですが、赤松氏庶流や古代明石郡一帯を治めた明石国造の末裔など諸説あります。

また黒田官兵衛の母岩の実家でもあり、関ヶ原の戦いや大坂の陣で活躍した明石掃部全登の備前明石氏はこの明石氏の一部が備前へ移り基盤を新たに築いた家です。

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新幹線・JR神戸線西明石駅より北へ1キロメートル強ほど歩くと吉田郷土館という資料館があります。       


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この吉田郷土館の敷地左手が枝吉城の入り口となります。

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一応道は整備されていますが自然の中を通るので歩きやすい靴で(城に行くのなら当たり前だと思いますが)


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本丸
遺構としては唯一残っているのが本丸で現在は公園と言うか広場のようになっていて、碑がかつてこの地が城であったことを現在に伝えています。


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枝吉城は明石川西岸の舌状台地に築かれ城の形状などから応仁の乱の頃に築城されたと考えられます。この地は明石と三木とを結ぶ三木街道が走っており交通の要所でもありました。

明石氏は城の東側に早い時期から非農業的要素の強い城下町を形成しており、家臣団と商人の頭である連雀商人を集住させ寺院なども置かれていました。小字名だけが残る浄泉寺は明石氏の菩提寺と考えられますが明石則実が豊岡に移る際に連れて行ったようです。この寺がこの地に残っていれば明石氏に関する研究はまた違ったものになっていたように思います。


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播磨吉田遺跡の碑
枝吉城のある場所は全国でも最も早い時期から稲作が行われていたという吉田遺跡のあった場所ですが枝吉城築城に伴い遺跡の遺構は破壊され、現在は碑が同じく本丸敷地内南側に建てられています。この遺跡については吉田郷土館を訪れてみてください。


前述したように黒田官兵衛の母岩の実家とされ官兵衛も度々枝吉城を訪れたことがあるだろうと思うのですが、初回で早々岩が亡くなった事もあってか盛り上がる姫路や加古川とは違って『軍師官兵衛』絡みのものは何一つなくひっそりとしていました。


              


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Author:けん
戦国武将にまつわる史跡と味のある建築探訪をテーマに暇を見つけては各地を彷徨っている40代前半の会社員(オッサン)です。ノスタルジックなもの・ローカル色強いものを好む習性があります。 


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