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中部幾次郎翁銅像(兵庫県明石市)

              明石

前回の浜光明寺の記事で少し触れましたので、今回は中部幾次郎翁について少し触れたいと思います。

日本100名城のひとつ明石城跡地である明石公園の入口お堀横に銅像があることに気付かれた方おられるでしょうか?これが大洋漁業(現マルハニチロ)創業者中部幾次郎氏で、氏の功績を称え明石市が昭和3年に建てたものです。戦前、まだ翁在命時にこの像は既に建てられていたんですね。

幾次郎は幕末の慶応2(1866)年に東魚町(現在の魚の棚商店街付近)で生魚運搬業林兼商店を営む中部兼松の次男として生まれます。兼松は明石の林崎出身なので林崎の兼松から林兼商店という屋号にしていますのでマルハの“ハ”は林崎の“は”ということになります。明石出身者には「おー!」と口に出てしまう郷土愛溢れる小ネタです(笑)

兼松の長男が若くして他界したために幾次郎は若くして家業を手伝い、父も幾次郎を四国・九州へ買出しに出させ五島のマグロや阿波の鮮魚などを船に積んで大阪の雑魚場へ搬入し商売を学んだといいます。

幾次郎は商売上手で高く魚を買い安く売ることで信頼を得、また将来を見通せる鋭い眼を持っており、明治30年ごろ明石近海は鯖や鰆の豊漁が続くも大阪まで運ぶのに時間が掛かることで痛みが進み大阪から安く買い叩かれ損をしていたことで焼き魚などにして大阪に送る状態だったのを、幾次郎は100トンの汽船を曳船に大阪まで短時間で運び4・5割ほどの高値で売り短時間で莫大な利益を得、また当時アメリカ製しかなかった発動機にも目を付け明治39年日本発の発動汽船を開発し、この船で明石から下関を回って日本海へ買出しにも出かけ、さらには朝鮮半島などへも進出と事業をどんどん拡げて行き世界有数の漁業会社へと成長させていくわけです。

彼は漁業の傍ら上述した発動機開発にも尽力し、自ら造船所を造って当時有水式が主流だった発動機の欠陥を克服した無水式発動機を開発、その後も重油使用の発動機を開発するなど造船事業の近代化にも尽力していますが、開発した発動機の特許権をいち早く開放するなどしています。後に本社は明石から下関へ移しますが、郷土愛を忘れることなく大正11年に明石中学(現在の明石高校)が開校されると聞くと15万円をすぐ寄付したそうです。確か今も明高の講堂は中部講堂って名前が付いていたような記憶があります。

明石公園内にある明石球場ではかつて大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)がキャンプを張っていた時期もありますが、親会社創業地という縁もあったんでしょうね。キャンプを張っていた頃は私は生まれてませんし、今は大洋ホエールズ自体を知らない人の方が多くなってきたかもしれません。





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Author:けん
戦国武将にまつわる史跡と味のある建築探訪をテーマに暇を見つけては各地を彷徨っている40代前半の会社員(オッサン)です。ノスタルジックなもの・ローカル色強いものを好む習性があります。 


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