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功運寺 吉良義央・糟屋武則の墓(東京都中野区)

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宝泉寺の横にある萬昌院功運寺は慶長6(1601)年に創建の功運寺と天正2(1574)年創建の萬昌院が昭和25年に合併して出来た曹洞宗のお寺。

功運寺の開基は老中も務めた永井尚政で元々三田にありましたが大正11年に現在地へ移ってきています。一方の萬昌院の開基は一月長得(今川義元の三男)で牛込より大正3年に当地に移ってきています。この山門は国登録有形文化財に登録されています。




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本堂
本堂や庫裡などは本当に大きく立派な建物です。


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永井家墓所
功運寺開基永井家の墓所で広い墓所内の中央付近に位置しています。
      
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今川家墓所
萬昌院開基である今川家の墓所。中央が長得のお墓で当初は彼の兄今川氏真も萬昌院へ葬られましたが後に氏真の孫直房が自身の知行地にある観泉寺へ移しています。

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吉良家の墓  
一番右側の宝篋印塔より吉良上野介義央、義弥(義央の祖父)、義定(義央の曽祖父)、義冬(義央の父)。他に赤穂浪士討ち入りの際に亡くなった吉良家家臣たちの供養塔と墓誌もあります。         

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糟屋内膳正武則の墓
播磨加古川城主(1万4千石)で賤ヶ岳七本槍の一人、関ヶ原の戦いでは西軍に属し改易。その後は家康に500石で仕えたとも備中国吉城を与えられたとも、関ヶ原以前に亡くなっていて息子の宗孝と混同されているなど後半生は謎に包まれています。

墓の武則の名の横には糟屋但馬守相喜という名前が記されています。この人は元々今川家に仕えた人物で武則とは遠縁に当たることから武則の500石を相続したとされますが、別の説では武則の弟となっているなど武則ともども謎だらけなので深く考えることは止めます(笑) ただこの相喜の家系の糟屋家がこの墓を建てたものと考えられます。

兵庫県加古川市称名寺にある糟屋武則の墓


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水野十郎左衛門成之の墓
水野勝成の孫で3千石の大身旗本ながら小普請入りを志願し、旗本奴(分かりやすく言えば旗本の不良グループ)のリーダーとして歌舞伎などでも有名な人です。兄に連座するものちに赦された弟忠丘などの墓もあります。

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歌川豊国の墓
初代から三代の浮世絵師歌川豊国の墓

墓所内には他に黒羽藩主大関家の墓や返還された義央の首と胴体を縫合した南蛮外科医栗崎道有、作家林芙美子の墓などがあります。

お寺の敷地には幼稚園が併設されていますのでお寺ないし幼稚園の職員の方に一声掛けてから参拝してください。普段は山門脇で氏名の記入などが行われているらしいのですが、訪問時は幼稚園が夏休み期間だからか特にありませんでした。今回は墓所入り口付近でご住職らしき方が作業されていたので案内していただきました。

            
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Author:けん
戦国武将にまつわる史跡と味のある建築探訪をテーマに暇を見つけては各地を彷徨っている40代前半の会社員(オッサン)です。ノスタルジックなもの・ローカル色強いものを好む習性があります。 


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