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福性寺 梶原塚(東京都北区)

          梶原塚

寛永2(1625)年の創建と伝わる真言宗豊山派のお寺で江戸時代はお寺のすぐ前にある梶原の鎮守宮白山神社の別当寺だった歴史があります。

          梶原塚

本堂             

                梶原塚


                梶原塚

梶原塚
この付近には梶原美濃守政景(太田資正の次男)の城館があったそうで、かつての梶原掘之内という地名の由来にもなっています。この地には古くから政景の塚と伝わるものがあり『江戸名所図会』など多くの文献に紹介されているので江戸時代にはすでに史跡・名所として知られていたことが分かります。その梶原塚にあった石塔や石仏が明治37年に火工廠貯炭場の拡張に伴い福性寺の本堂前に移されてきました。

政景は上杉謙信が鶴岡八幡宮で行われた関東管領就任の際に太刀持ちを務め、関ヶ原後に佐竹義宣に従い秋田へ移り久保田城(秋田城)の縄張りなども担当していますが、後に佐竹家を辞し家康の次男結城秀康に仕え福井に移っており福井市の禅林寺に彼や一族の墓所があります。ということで政景の墓だとすれば供養塔ということになります。


                      梶原塚

梶原塚(『江戸名所図会』)
「梶原堀内、豊島川の河曲堤の本にあり(昔は寺院もありしかど、そのかみ洪水のとき、川へ欠け込みて亡びぬるとぞ)。この塚は太田美濃守入道資正の次男梶原源太政景の墳墓なり。享保の頃までは石碑・石檀ありしが、洪水のとき豊島川に崩れ込みけるとて、いまは小笹のうちに一株の松のみ存せり・・・(以下省略)」


讀賣新聞の工場のすぐ西側にあります。政景の塚とされていますが『新修 北区史』には古墳文化時代のものという記述があるそうなので、古くからこの地にあった墳墓とこの地に屋敷を構えた政景とがつながったなどの推測も出来そうですがよく分かりません。お寺の方が不在で留守番の方しかおられず詳しい話を聞くことができませんでした。

               

              
          
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Author:けん
戦国武将にまつわる史跡と味のある建築探訪をテーマに暇を見つけては各地を彷徨っている40代前半の会社員(オッサン)です。ノスタルジックなもの・ローカル色強いものを好む習性があります。 


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